最近「ととのう」という言葉をよく聞きます。
例えば、サウナ。私は長い時間サウナに入れない人なのだけど、サウナー(サウナ好きな人?)さんたちのおっしゃる「ととのう」に興味が出てきました。
サウナにおける「ととのう」とは、ザックリまとめると暑いサウナと冷たい水風呂に繰り返し入ることで血流が良くなり、陶酔感が得られることのよう。
普通は切り替わるはずの交感神経と副交感神経が共存し、“変な感覚”を覚える。これこそがととのうの正体です。
「結局、サウナで“ととのう”の正体って?」サウナーの医師に聞いてみた(TABI LABO)
(中略)
脳科学的にはものすごくリラックスした状態になります。感覚が鋭くなり、頭がスッキリする。
血管のアンチエイジング効果も期待できます。
(中略)
ととのった脳は「瞑想後の状態」に似ている
私はサウナで「ととのう」を味わったことはありませんが、一度試してみたいと思いました。
私が「ととのう(整う)」に惹かれる理由
そもそも「ととのう(整う・調う)」とは一体どういう意味なんだろう?
ということで、言葉の意味を調べてみました。
1 必要なものがすべてそろう。「材料が―・う」「準備が―・う」
weblio辞書
2 きちんとまとまった状態や形になる。調和がとれる。「体裁が―・う」「―・った顔だち」
3 交渉や相談がまとまる。「縁談が―・う」「契約が―・う」
[補説] 多く、2は「整う」、1・3は「調う」と書く。
私の思う「ととのう」は、 2 の「整う」の意味合いが強い。
つまり私が惹かれているのは、「きちんとまとまった状態や形になること」「調和がとれた状態で(自分自身が)いること」です。
言い換えると、自分の中がわちゃわちゃしている状態を避けたいということ。
ともすると頭がいっぱいになったり、気持ちだけ急いて目の前のことをおろそかにしがちだからこそ、「整う」に憧れているのかもしれません。
瞑想をしたり、部屋を片付けたりしているのは、なんとかその状態に近づきたいゆえの行動なんだろうな。
暗黒期を経て、今がある
今日ママ友に「いつも整ってるね」と言われました。
4年ほど前、仕事と子育てでいっぱいいっぱいだったとき。家に帰ったら部屋は大荒れで、自分自身も目の前にある「やるべきこと」に追われてぐちゃぐちゃな状態の時がありました。
子どもに優しくしたいのにそんな余裕もなくて、ただ毎日を無事に終えることに精一杯な日々。ママ友と話しながら、思わず泣きそうになってた朝もたくさんありました。
そんな自分史上ワースト3くらいのぐちゃぐちゃ期を知ってくれていたママだったから(申し訳ない…)、そう言われてビックリしたけど、嬉しかったんです。
その時の自分を今振り返ると、「整う」にはほど遠い状態だったと思います。
もちろん、子どもを「生かす」ことが一番大切だったから、部屋が汚くても自分自身に手がかけられなくても全然いい。その時にできる精一杯で頑張っていたとも思う。でも、心も身体もしんどかったんですよね。ホントは。
色んな状況が変わっているから簡単に比較はできないけど、自分的には今の状態の方がずっとラクです。
ママ友が言ってくれたように、あの頃より少しでも整ってきてたらうれしいな。
日々穏やかに、心豊かに暮らしたい
結局私は、「日々穏やかに、心豊かに暮らしたい」んだと思います。
自分が心地良いと思う空間で、心地良いと思う時間を過ごす。
そのためにも心身ともに健康でいたいからこそ「整う」に惹かれているんですね、きっと。
朝楽しみとともに起きて、夜満足して寝る。
すっごく普通かもしれないけど、そんな毎日が過ごせたら、最高だな。